昨年度、「お城のあるまちに暮らす。」をテーマに開催した
地域学講座「丹波学トーク」の内容の一部を、テキストと
写真でお届けします。
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今日から楽しむ、お城の見方・歩き方  その4

城郭ライターの萩原さちこさんにお城の見方・歩き方を聞いた
参加者は、ガレリアかめおか近くに残る城跡へ見学に出かけ
ました。解説と案内は、亀岡生涯学習市民大学学長で、前亀岡市文化資料館館長の黒川孝宏さんにお願いしました。
■見学レポート~丸岡城(余部城)跡~
ガレリアかめおかから徒歩10分ほどの場所にある西岸寺(さいがんじ)は、
かつては丸岡城(まるおかじょう・余部城(あまるべじょう)とも)と呼ばれた
お城の跡に建っています。
丸岡城は、織田家と敵対する福井貞政(ふくいさだまさ)の居城であり、明智光秀が
攻め落とし、丹波侵攻の前線基地にしたといわれるお城です。
遺構はほとんど残っていませんが、高台にある城跡は非常に見晴らしがよく、近くには
街道の分岐点を示す道標が残っています。
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「見通しの良い、街道の要所」という軍事的な好条件を備えた丸岡城は、織田信長から
「丹波侵攻」という難しい使命を与えられた光秀にとって、非常に重要な拠点の一つ
であり、敵地へと切り込むいわば「橋頭保(きょうとうほ)」でした。

それだけに、丸岡城をめぐっては激しい攻防戦があり、西岸寺のご住職は「西岸寺は
元々、高台の下にあり、戦いで命を落とした人たちのために、この場所に移されたの
ではないか」と教えてくださいました。これも「お城のあるまち」の大切な歴史の
一つです。
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丸岡城を奪取し、丹波侵攻を進めた光秀は、やがて本格的な統治と
領国経営の拠点として丹波亀山城を築城します。

次回の更新

6月22日の予定です。「お城へいこう~丹波亀山城址~その①」をお届けします。

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